Archive for the 'マスコミ記事' Category

Published by itouya on 31 3月 2014

和菓子、おもてなし

 「食べるのがもったいない」。そう感じるほど、和菓子の色彩、デザインは美しい。でも、見て、味わうだけも、もったいない。菓子の名の由来を知ることで、「聴く楽しみ」も増える。
 日本人はいつからおやつを求めていたのか。縄文時代には既にクッキーのようなものを食べていたことが分かっている。栗などの木の実を砕いて熱を加えたものだという。「菓子」という言葉は、もともと木の実や果物を指していた。
 『古事記』や『日本書紀』によると、垂仁天皇の名を受けた田道間守が中国から橘の木を持ち帰った。田道間守命を菓子神として祭る神社が各地にある。
 菓子は昔から特別な存在だったようだ。狂言には、砂糖が貴重だったことをうかがわせる「附子」という演目が。落語には「まんじゅうこわい」という噺がある。
 和菓子は発展の過程で、海外の影響を強く受けている。遣唐使は油で揚げるという調理法を伝え、中国で学んだ禅僧は喫茶と点心(間食)という習慣を広めた。大量の砂糖と玉子を使う「南蛮菓子」は和菓子の流れを大きく変えた。
 そして江戸時代の元禄期、いまに通じる和菓子が京都で誕生する。従来との大きな違いは、優美な色づかいと、「菓銘」と呼ばれる菓子の名前の存在だ。

朝日新聞2014年3月31日〜はじめての和菓子 おもてなし「見」「味」「聴」で感じる(高橋昌宏氏による)〜より内容の一部を紹介しました

Published by itouya on 16 2月 2014

明石焼き、たこ焼き、ちょぼ焼き

 明石焼きは、卵と小麦粉などをだし汁で溶き、タコを入れて球状に焼き、つけ汁で食べる。明石焼きの影響を受け、ラヂオ焼きからたこ焼きが生まれたと考えられている。熊谷真菜さんによると、江戸時代から駄菓子屋に、「ちょぼ焼き」と呼ばれる食べ物があった。はがき大の鉄板に、たこ焼きより小さな半円のくぼみがいくつかあり、水に溶いた小麦粉を流し、こんにゃくやエンドウ豆、刻んだタクアンなどを入れる。主に、子どもたちの食べ物だった。ちょぼ焼きの名は、溶いた小麦粉や具を、ちょぼちょぼ入れたから、という説がある。ちょぼ焼きと明石焼き、たこ焼きとの関係ははっきりしないが、鉄板のくぼみや具を入れるところが共通している。

朝日新聞2014年2月15日夕刊〜あのときそれから 関西「粉もん」文化〜から紹介しました

Published by itouya on 13 1月 2014

岸朝子さん「食は生命なり」

 「戦争が始まったころは東京・小石川の実家に住んでいた。山の手の比較的裕福な住宅地だが、戦況の悪化で女中さんの数が減っていた。
 当時、私は女子栄養学園(現在の女子栄養大学)に1年通い、『栄養学の母』と言われる香川綾先生から、戦時下の食糧難でもバランスのとれる料理の作り方を学んだ。配給されたイモのツルも無駄にしないレシピは、地元住民にも配られ、重宝された。
 その後、20歳で陸軍将校と見合い結婚した。東京・金町の一軒家での新婚生活は、庭で野菜を作って日々をしのいだ。出来不出来があるイモより、ナスの方が間違いなく実がなることなどを知った。
 終戦の年、夫の実家の愛知県・一宮に疎開した。長女を妊娠中だったが、疎開先は農家で、幸い、食べるものには困らなかった。一方で、都市部の食料不足はさらに深刻になり、買い出しに来る人たちの姿を時々見た。
 戦争を通じ、香川先生の言う『食は生命なり』を身をもって実感したことが、戦後、料理記者となる私の人生の方向を決めたと思う」

読売新聞2014年1月11日〜証言 「食は生命なり」を実感 食生活ジャーナリスト岸朝子さん(90)〜より紹介しました

Published by itouya on 30 9月 2013

飯田市歴史研究所が10周年

 長野県飯田市が運営する市歴史研究所が12月で創設10周年を迎える。大学教授レベルの若手の専任研究員を抱え、成果を次々に刊行する一方で市民研究者も育成するなど、地方史の世界で異彩を放っている。
 設立は2003年12月。「地域の歴史をひもとき、残していく恒常的事業を」という市有識者会議の提言から生まれた。自治体が時前の研究所を持つのは珍しい。
 所長兼研究部長の吉田伸之・東大名誉教授を筆頭に、任期5年の研究員が3人。ほかに調査研究員、顧問研究員などが30人以上在籍する。(略)
 研究所の大きな特徴の1つが「市民研究員」の存在だ。公募で採用されると、研究所の設備や研究費が使える。ただし、2年をめどに成果を公表しなくてはならない。(略)
 研究員の指導のもと、市民の有志が隔週ないし月1回のペースで集まる古代史・近現代史・思想史・満州移民研究などの「ゼミナール」や、今年12月で70回を迎える大学の専門教育レベルの集中講座「飯田アカデミア」の開講、『飯田・上飯田の歴史』をはじめとする約40冊の書籍の刊行など、教育・普及面にも力を入れる。(略)

朝日新聞2013年9月30日夕刊〜郷土史研究 市民とともに(宮代栄一氏による)〜より紹介しました

Published by itouya on 29 8月 2013

小諸舞台の「あの夏で待ってる」

 

「NHKおはよう日本」で、長野県小諸を舞台にしたアニメ「あの夏で待ってる」で、小諸を訪れるアニメファンが増えているとのこと。
番組では、アニメ上映会を催したり、ファンと住民との交流を企画したりする小諸市の様子が映されていました。

画像は「おはよう日本」より
アニメと小諸情報は
なつまちおもてなしプロジェクト

Published by itouya on 11 8月 2013

飯田南信濃で38.7度



NHK高校野球中継中に、高温注意報が出た本日。飯田南信濃38.7度。暑いわけです。

Published by itouya on 01 8月 2013

青梅沢井ゆず原料の「銀座かずや」のゆず和菓子

 江戸時代から精算される青梅の沢井ゆず。香りが高く、肉厚な果実にほれ込んだ銀座の和菓子職人が、多摩地域の協力を得て新たなお菓子を作り上げた。「商品というより、みんなの思いがこもった作品」と胸を張る。全国の三越などで販売される。商品開発したのは、抹茶を使った練り菓子で有名な「銀座かずや」の古関一哉さんと実姉のあさ美さん。
 水あめをわらび粉で炊き、ぱりっとしたもなかで挟む「多摩ゆず最中」と、わらび粉で練り上げた「多摩ゆずわらび」の2商品(いずれも税込み367円)だ。甘さの中にも爽やかさが広がり、日本茶に合う。(略)

朝日新聞2013年8月1日〜ゆず和菓子多摩の味わい(石川瀬里氏による)〜より紹介しました

参考 銀座かずや

Published by itouya on 01 7月 2013

石原裕次郎さんと渥美清さんの愛した和菓子

 7月17日は永遠のタフガイこと石原裕次郎さん(1934〜87年)、8月4日はフーテンの寅さん(1928〜96年)の命日です。今回は、昭和の大スターという名にふさわしい二人が愛した和菓子を紹介します。
 石原裕次郎さんお気に入りの和菓子は、世田谷区祖師谷大蔵にある御菓子処「香風」の「豆大福」。お餅のコシが強いので丸めずに、あんを筒型にくるんでいるのが特徴です。甘さ控えめのあんが端から端までたっぷり入って、食べ応え抜群。噛むほどに杵つき餅ならではの香りが口にひろがります。裕次郎さんの墓前には今でも、この豆大福をお供えするファンの方がいるようです。
 一方、渥美清さんが生前好んでいたのが、浅草にある甘味処「西山」の「福々まんじゅう」。1852(嘉永5)年年創業の老舗ならではのこだわりで、あんづくりは、小豆をひと粒ひと粒選定することから始めます。ふかしたての蒸しまんじゅうは、皮がふっかふか。塩の効いた甘さ控えめのあんと皮のハーモニーは、やみつきになるおいしさです。(略)

月刊わくわくプレゼント2013年7月号〜いとお菓子・手みやげにしたい物語のあるお菓子(コラムニスト平田碧氏による)〜より紹介しました

Published by itouya on 27 6月 2013

昼神温泉の星空ツアー

6月27日(木)NHKニュース「おはよう日本」で紹介された長野県阿智村の星空ツアー。スキー場にリフトで上り、ゲレンデで寝ころんで星空を観るツアーの様子が紹介されていました。

参考 星空ツアーはるるぶのサイトで紹介されていました。
るるぶトラベル星空ナイトツアー

Published by itouya on 05 6月 2013

「いくえ」というお菓子

 6月5日放送のニッポン放送垣花正「あなたとハッピー」の中の、“榊原郁恵のハッピーダイアリー”のコーナーで、郁恵さんが、自分と同じ名前の「いくえ」というお菓子をお姉さんから頂き、とてもおいしくて注文しちゃった、というお話しをしておられました。
 中に栗きんとんが入っていて、幾重にも生地が重なっているお菓子なのだそうです。早速検索してみました。
御栗菓子松月堂さんの「いくえ」ありました。パイ生地の間に栗きんとんをサンドしてあるとの説明。画像も見られます。

御栗菓子松月堂

« Prev - Next »