「戦争が始まったころは東京・小石川の実家に住んでいた。山の手の比較的裕福な住宅地だが、戦況の悪化で女中さんの数が減っていた。
 当時、私は女子栄養学園(現在の女子栄養大学)に1年通い、『栄養学の母』と言われる香川綾先生から、戦時下の食糧難でもバランスのとれる料理の作り方を学んだ。配給されたイモのツルも無駄にしないレシピは、地元住民にも配られ、重宝された。
 その後、20歳で陸軍将校と見合い結婚した。東京・金町の一軒家での新婚生活は、庭で野菜を作って日々をしのいだ。出来不出来があるイモより、ナスの方が間違いなく実がなることなどを知った。
 終戦の年、夫の実家の愛知県・一宮に疎開した。長女を妊娠中だったが、疎開先は農家で、幸い、食べるものには困らなかった。一方で、都市部の食料不足はさらに深刻になり、買い出しに来る人たちの姿を時々見た。
 戦争を通じ、香川先生の言う『食は生命なり』を身をもって実感したことが、戦後、料理記者となる私の人生の方向を決めたと思う」

読売新聞2014年1月11日〜証言 「食は生命なり」を実感 食生活ジャーナリスト岸朝子さん(90)〜より紹介しました