サツマイモが中国から琉球を経て、九州各地に伝わったのは江戸時代初期。焼き芋が庶民のおやつとして広まったのは寛政年間(1789〜1801年)だと言われています。江戸の町の入口を見張っていた木戸番たちが副業で焼き芋屋を始めたことがきっかけでした。「栗(久里)の味に近い」として、店先には「八里半」の看板が掲げられ、大評判になったと言います。
 明治にはいると、大型の専業店が現れました。夏にはかき氷を販売し、年中繁盛したそうです。
 石焼き芋は戦後、焼け野原の東京で生まれました。都内の芋問屋「川小商店」の齋藤興平会長によると、板前だった三野輪万蔵という人が、釜で熱した小石に芋を埋め、リヤカーで売り始めたのが最初でした。人が集まる場所で商売するため、よく売れたといいます。最盛期の昭和30年代には東京近辺で1500台ものリヤカーが動いていたそうです。

読売新聞2012年1月24日夕刊〜焼き芋 木戸番の副業から広まる(上村佳代記者による)〜より紹介しました